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熊本地方裁判所山鹿支部 昭和39年(わ)39号 判決

被告人 前田高雄

明四四・一一・二一生 農業

稗島信人

明四三・一〇・一二生 農業

主文

被告人前田高雄、同稗島信人を各罰金三千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

被告人等に対し公職選挙法第二百五十二条第一項に規定する選挙権および被選挙権を有しない期間を短縮して各三年間とする。

訴訟費用中、前田義則、中川正、竹田龍介、西田達男、池田昌信に支給した分は被告人前田高雄の、中島優(二回分)、古家光、古家護、大森善吉、古家英雄、稗島孝、横手荘介、中尾繁男(昭和四〇年四月六日支給の一回分)、古家久枝に支給した分は被告人稗島信人の、各負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人等は昭和三十八年十一月二十一日施行の衆議院議員総選挙に際し、熊本県第一区から立候補した大久保武雄の選挙運動者であるが、同候補者に当選を得しめる目的をもつて、

第一、被告人前田高雄は、同月十四日頃、山鹿市大字津留二、七六一番地の同被告人方において、中川正等別表一記載の同選挙区選挙人五名に対し、右候補者のため投票方を依頼し、その報酬として一人当り約百七十二円相当の酒食の饗応接待をなし

第二、被告人稗島信人は

(一)  同月八日頃、同市同字一、四〇七番地の同被告人方において、稗島孝等別表二記載の同選挙区選挙人五名に対し、前記候補者のため投票方を依頼し、その報酬として一人当り約八十円相当の酒食の饗応接待をなし

(二)  同月十二日頃、同市同字八七七番地の古家護方において、同人等別表三記載の同選挙区選挙人五名に対し、右候補者のため投票方を依頼し、その報酬として一人当り約百十二円相当の酒食の饗応をなし

たものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人、弁護人の主張に対する判断)

先づ、被告人前田に係る判示第一の事実につき、被告人、弁護人は、被告人が判示の日時、場所において、中川正等五名に対し、判示酒食の饗応をしたことは間違いないが、その趣旨は判示のようなものでなく、たばこ耕作農家と養蚕農家との協調懇親をはかるため、被告人がたばこ耕作者側を代表して関係者を招き饗応したものである旨主張するので按ずるに、同被告人の検察官に対する供述調書によると、被告人は山鹿市三岳校区の第四区長として同区内の道路その他の公共事業につき、市当局に対する陳情斡旋等に関し同校区出身の市会議員古江英二から平素格別の世話になつていたところ、同人は昭和三十八年十一月施行の衆議院議員総選挙に際し、大久保武雄候補の後援会を組織し同候補を支持して運動することになり、被告人も同年十月初頃催された右後援会の発会式に出席したが、判示饗応の前日頃右古江の来訪を受け同人から、「今度の選挙では大久保候補が危いのでよろしく頼む、少ないけれど皆なと酒の一杯づつでも飲んでもらいたい」と言われ現金千円をもらつたので、ほかならぬ右古江からの依頼でもあり、また大久保候補はたばこ耕作関係者全国組織の役員もしておつて、その面からも種々世話になつていたので、右金員で酒肴をととのえ、たばこ耕作農家と養蚕農家との協調会に託して関係有権者を招き饗応のうえ、同候補に対する投票方を依頼することを決意したこと、そして急遽その翌日関係有権者等に対し同人等の田圃や田圃からの帰途等においてその旨案内し、同夜自宅で、これらの者に判示酒食の饗応をしながら右酒が前記古江市議の方から出ていることを披露し、かつ同市議の意のあるところを告げ、自らも大久保候補に対する投票方を依頼したものである事実が認められるのである。

被告人は、同人の検察官に対する供述は、取調の当初林副検事が威厳のあるような態度で、「君は選挙のことでこんなことをして飲んだね」と鋭い口調で聞かれたので、恐ろしいのと早く帰りたいのとで「はい」とか「そのとおりです」と答え、同検察官に対し、「警察で述べたことは違う、事実はこうだ」と改めて述べるようなことはしないでしまつた、次いで津村検事の取調を受けたが、それまで林副検事等に述べて来たことを覆えすことはできまいと考えたので、右津村検事に対しても、「いままで述べて来たとおりです」と述べ、それまでの供述を承認した、その結果同検事の調書ができたのである。したがつて被告人の同検察官に対する供述調書の内容は真実でなく、また被告人の任意の供述を録取したものでもない旨供述するのであるが、当法廷で林副検事から「自分(同副検事のこと)は本件起訴事実については被告人を取調べたことはないので(この点については右検察官が右反対尋問のため示した昭和三十八年十二月六日付被告人の検察官に対する供述調書謄本の内容に照らすと、本件とは全く関係のない事項についての取調であつたことが明らかで右検察官の主張の方が真実であると認められる)、被告人が本件について自分に対し自白したということはあり得ない筈だが、どうか」と尋問されると、被告人はこれに対し答えられなかつたこと(このことは第五回公判調書によつて明らかである)、証人中村昭(津村検事の立会検察事務官)の証言によると、被告人は津村検事の取調に対し最初から事実を認めておつて、否認したような点は全然なく、また同検事は被告人に対する取調に際し、警察の記録を見てそれを参照はしていたが、質問する事項は同検事が新しく練り直して行つており、警察で被告人が述べていたことをそのまま押しつけて「こうだろう、こうだろう」と訊ねていたようなことは絶対になかつたし、なお同検事は関西出身のため質問も穏やかな関西弁で行つていたから、相手に威嚇的な感じを与えるというようなことは考えられなかつた旨のことが認められること、被告人に対する警察の取調と右津村検事の取調との間には二週間近い期間があり、かつ検察庁における取調は午前九時頃から始まつて正午までには終つていたこと(このことは被告人が当法廷で認めるところである)、被告人は被疑者古江英二に対する公職選挙法違反被疑事件の証人(刑事訴訟法第二百二十七条による)として昭和三十八年十二月十九日山鹿簡易裁判所山口筑紫裁判官に対しても前記検察官に対する供述調書の内容と同旨の供述をし、また被告人古江英二に対する公職選挙法違反被告事件の証人として同三十九年六月二十三日熊本地方裁判所においても右供述調書の内容と同旨の証言をしておること(尤も被告人は右熊本地方裁判所における証言は右出廷直前公判立会の山田検事から事前準備として被告人が前に警察で述べた調書を見せてもらい出廷したので、その調書のとおり述べざるを得なかつたものであり、右裁判所における証言は真実を述べたものではない旨当法廷で供述しているのであるが、右公判調書における同人の証言経過ならびにその内容をみると、右証言前の調書閲覧が右証言を拘束したなどとは到底考えられない供述ぶりであつて、被告人の当法廷における前記供述は措信できない)等の事実に照らすと、たとえ被告人に対する警察の捜査に任意性を疑わしむるような取調があつたとしても、その影響は検察官の取調においては遮断され、被告人の検察官に対する供述調書中の供述には十分任意性を認め得るものと考える。

また、右供述に真実性が窺われることは被告人が前記のように別件における刑訴二二七条による裁判官の証人尋問や同事件公判における証人としても同旨の供述をしていること、前記のような同被告人と候補者および古江市議との間における特殊の関係や右饗応日時が前記選挙の一週間前であること、ならびにもしその晩の饗応が被告人弁疏のようにたばこ耕作農家と養蚕農家との協調懇親の会合であるとすれば、当然事前にある程度の計画を立て関係者と相談してそれらの人の都合のよい日取りをきめてから開くようにする筈であるのに、その当日唐突に触れて廻り即夜開催しているということは常態でないこと、同夜の会合にはその年たばこを耕作しなかつた者(中川正)やたばこ耕作にも養蚕にも全く関係のない者(池田昌信)も参会しており、実際に関係があると思われる者は、たばこ耕作者二名(被告人と前田義則)と養蚕農家二名(竹田龍介、西田達男)に過ぎず、右両グループの利害調整のための懇談会合としての実態はなかつたこと、なお、両者の協調について格別具体的な申し合わせもなされておらず、極めて断片的な雑談しかなかつたこと(以上のことは被告人の供述によつても明らかである)等被告人の弁疏がむしろ不自然と認められるような情況のみられること等に徴し明らかである。

以上のように、被告人の検察官に対する自白調書には任意性も真実性も肯認し得られるのみならず、受饗応者である中川正、同竹田龍介、同前田義則の各検察官に対する供述調書によると、被告人は当日右中川等に対し触れて廻つた際「お神酒が来とるけん」と意味深長な言葉を発しておつたり、当夜酒席において参会者等に対し「今度の選挙には大久保さんを宜しく頼む」とか、「今度の選挙では大久保さんが危かけん頼むばい」と申し、さらにその翌日も道路上等で前夜の参会者等に対し、重ねて「大久保さんを頼む」などと懇請し右大久保候補に対する投票方の依頼をしておつたことが認められるので、被告人の自白と右受饗応者等の供述とを綜合して判示第一の事実を認めるに十分であると考える。

尤も右中川正等は当法廷においては、右検察官に対する供述を翻えし、前記酒席では選挙の話は全然出なかつたとか、出ることは出たが大久保候補のことは全然話題に上らず、勿論同被告人から同候補に投票してもらいたいというような趣旨の依頼があつたということなどは絶対になかつた旨、被告人の前記弁疏に照応する供述をしているのであるが、しからばその晩の会合ではどういう話が出たのかということになると、極めてあいまいで「大体世間話であつたと思うが、はつきり記憶していない、たばことか養蚕の話は出たと思う」(中川供述)とか、「たばこと養蚕の協調会であつた」(竹田供述)、あるいは「大体たばこの話であつた」(前田義則供述)等というような抽象的な供述に終始し、検察官調書中における同人等の前記供述にみられるような具体性がなくまた同人等が検察庁で述べている事項について検察官がこれを確かめるための尋問を行うと答えられずに黙したままであつたり、「判らない」とか「憶えない」等と言つて記憶喪失に逃避しその場を糊塗するというような供述態度が随所にみられるので、同人等の当法廷における供述よりも検察官に対する供述の方がより信用性があるものと認められるのみならず、検察官の取調態度についても、右前田義則は検察庁の調の際は何ら無理なことを言われず、任意に述べた旨供述しておつて全く問題がなく、ただ竹田は検察庁では別におどされたりしたというようなことはないが、恰度十二月も押しつまり、翌日から集金に出かけなければならないという時で、取調に時間をとられることは甚だ迷惑なことだつたので、事実と違う供述をした旨、また中川は取調の際、検察官が一、二回大声で言われたことがあつた(しかし検察官がどういうことを大声で言つたかは憶えていないという)旨述べておつて、同人等の検察官に対する供述が内心的には任意に出たものでない趣旨のことを述べているのであるが、かかる情況があつたとしても、その程度のことで同人等に対する検察官の取調に強制誘引が行われたと認め得られないことは勿論、証人林義徳(中川正の取調に当つた検察官)、同竹田貞雄(竹田龍介の取調に当つた検察官)の各証言によると、同証人等はいずれも検察官として多年選挙違反事件の捜査ならびに公判立会に従事し、斯種事件が公判においては、捜査過程における些少の瑕疵も強く批判され争われる性質のものであることを過去において経験しているため、本件においてもとくに慎重な取調態度をとつた旨のことが認められるので右中川等に対する検察官調書につき、その任意性を疑うべき情況の存在もこれを認め難い。

なお、右同人等は警察の取調の際は、警察官から「黙つているといつまでも帰さんぞ」と言われた(中川供述)とか、「言わなければきつい目にあわせるぞ」といわれた(前田供述)、また「警察へはジープに乗せられ、サイレンまで鳴らして連れて来られた」(竹田供述)等と当法廷で供述し、警察の捜査、取調には著しい強制誘引があつた旨訴えているのであるが、警察で同人等の取調に当つた証人福島力、同光永亀男、同松村隆寿等は当法廷において右のような取調をした事実はない旨強く否定し、また前記証人林義徳、同竹田貞雄も、右中川等は検察官の取調に際し、警察において前記のような強制誘引を受けた旨のことは少しも訴えておらなかつたと証言しておるので右中川等に対する司法警察員の取調に右中川等が当法廷で述べるごとき強制誘引が存したとは俄かには断じ難い。とくに竹田龍介証人の「サイレンを鳴らしたジープで連行された」という供述に至つては、そのようなことは常識上考えられないことでもあるので、同人の供述には著しい誇張の存することを窺わしめるものがあると考える。

勿論当裁判所としても、本件に対する警察捜査の過程において原則的に任意出頭を保障されている被疑者、参考人をジープで迎えに行き、同人等をして、出頭すると否とを自主的に判断することを事実上困難とするような呼出し方法が執られたこと、また同人等が明示的な退去意思を表示しなかつたにしても、夜間相当遅くまで関係者を取調のため署内にとどめ、事実上随時退去の自由を制約する結果となるような措置の執られたこと等相当の行き過ぎがあつたことはこれを認定するものであり、このため後記のように司法警察員作成の供述調書中特定のものについてはその証拠能力を否定したのである。

しかし、検察官の取調は右警察の取調時から約二週間以上の時間的間隔が存し(このことは右中川等の司法警察員に対する供述調書抄本各通の日付と検察官に対する供述調書の日付とを対照して確認し得る)、かつその取調状況も前記のとおりであつたことが認められるので、警察捜査の影響は一応遮断され、それが検察官調書に不当な影響を及ぼしているものとは考えられない。

したがつて、右中川正、同竹田龍介、同前田義則の各検察官に対する供述調書は特信性ならびに任意性を具備し、証拠価値においても欠くるところがないものと考えられるから、これと前記被告人前田高雄の自白調書とを綜合するときは、同被告人に係る判示第一の犯罪事実はこれを肯認するに十分であると考えられ、前記被告人、弁護人の主張は到底これを採用し得ないものというべきである。

つぎに、被告人稗島に係る判示第二の(一)の事実につき、被告人、弁護人は被告人が判示の日時、場所において稗島孝外四名に対し判示酒食の饗応をした外形的事実は間違いないが、その趣旨は判示のようなものではなく、被告人方における牛の仔祝いのため招いたものであり、また判示第二の(二)の事実についても、被告人、弁護人は、被告人が判示の日時、場所において、古家護外四名に酒食の饗応をした外形的事実は間違いないが、その趣旨は判示のようなものではなく、被告人方における棟上祝いで残つた酒を右古家護に贈与のため同人方へ持参したところ、右護のほか大森善吉等四名の者が集まつていたため、さらに右酒に菓子をも添えて同人等に饗応するような結果となつたに過ぎないものである旨、それぞれ主張するので検討するに、被告人の検察官に対する供述調書によると、被告人は山鹿市津留部落の区長で、同部落出身の山鹿市議会議員古江英二の支持者であるところ、昭和三十八年九月末頃、衆議院解散の報道が伝わると間もなく右古江から誘われ、山鹿市公民館に開かれた大久保武雄候補の後援会結成の発会式に参加したが、同年十月二十一日頃、右古江の来訪を受け同人から「今度は一つよろしく頼む、少ないがこれで何かしてくれ」という言葉と共に現金千円を差し出されたので、右金員は右古江が被告人に対し、当時該選挙に立候補する予定にあつた大久保武雄のため票集め等の選挙運動を依頼し、その費用や報酬としてよこしたものであると考えてこれを受け取り、さらに同年十一月十日頃には古家大蔵等他部落区長数名と共に右古江英二方に招かれて酒食の饗応を受けたうえ、重ねて右大久保候補に対する運動方を依頼されたので、被告人もこれを承諾し、投票日直前頃の同年十一月十九日頃(尤もこの日時の点については証人古家護等の供述から同月十二日頃の間違いであると認められるが)、前記金員で清酒(二級)一升および菓子二〇〇円を買い、これを同部落の古家護方に持参し(尤もこの点法廷における被告人の供述と綜合すると、被告人はまづ右清酒だけを先に携行しこれを右護方に置いてから、次いで菓子を買い足したものであることが認められる)、同人および同人方に集まつていた大森善吉等四名に対し右大久保候補のため投票方を依頼して、右酒および菓子を同人等に進めて飲食させ、饗応したものであることが認められ、また中島優、古家光、中尾繁男、稗島孝等の検察官に対する各供述調書によると、被告人は同月八日頃にも牛の仔祝を兼ねて右中島優等五名を自宅に招き酒食を進めながら、同人等に対し、右酒につき、「これは古江英二さんが持つて来なはつたもんな」とか「酒が一本来とるもんな」等と話して、該酒肴が大久保候補のため運動している古江市議の方から出ているものであることを披露したうえ「もうわかつておられると思うが、今度の選挙には大久保さんをお願いします」とか、「今度の選挙には大久保さんを頼むばい」とか申し、同候補のため投票方の依頼をしている事実が認められるのである。

被告人は、当法廷で同人の検察官に対する供述調書は警察(山鹿署)の二階で山田検事等三人から正午頃より午後四時頃まで調べられ、供述拒否権も告げられず、警察調書を読みながら聞かれ、被告人が警察で述べたことは違うと言うと、右検事等から、それでは前に調べた警察官を呼ぶぞ等と言われるので、あきらめて黙つてしまつたところ、警察の調書を丸写しにして検察官調書が作成され、それに署名押印させられたものであつて、右調書には任意性も真実性も全くないものである旨弁疏供述するのであるが、証人犬童正勝、同高野幹夫の各証言によると、被告人に対する取調が山鹿警察署の二階で行われたことは被告人供述のとおりであるが、取調官である山田検事が同所において被告人を取調べたのは当時(右取調年月日が昭和三九年五月二七日であることは、該供述調書の記載によつて明らかである)偶々地元の熊本地方検察庁山鹿支部が旭志村長選における違反者多数の取調のため同支部の調室を悉く使用し本件被告人取調のための空室がなかつたため己むを得ず右警察署の二階を借り受け取調を行つたものであつて、他意がなかつたこと、取調は午前十時頃から始め二時間位で済んだので、午前中には終了したものであること、同検事は午後も同署で取調を実施したが、それは被告人に対してではなく、古江大蔵に対してであり、被告人は前記山田検事の取調が済んだ後は同署内にはとどまつておらなかつたこと、被告人に対する取調は検事山田有宏だけが当つたものであつて、同席していた犬童正勝は立会事務官として被告人の供述の録取に従つただけであること、尤も右取調中偶々同警察署に所用のため出向いた前記支部庶務課長の高野幹夫が序でに右山田検事の取調室にも一寸顔を出したところ、恰度被告人が昭和三十八年十一月八日夜の稗島孝等に対する饗応の趣旨について、従前警察の調等で全然口にも出しておらなかつた、右饗応は被告人宅の牛の仔祝いに過ぎなかつたものである旨の新たな主張を始めたときであり、かつ同課長が顔を出した直後右山田検事宛に本庁(熊本地方検察庁)から電話がかかつて同検事が席を外したため、同事件の一部捜査に検察官事務取扱として従事したことがあつて、被告人が右饗応の趣旨について牛の仔祝いであつた等と述べたことのなかつたことを知つていた右高野課長は被告人の右供述につき不審をいだき右検事の戻るまでの間、被告人との間に数分間右饗応の趣旨について問答したことのあつたことが窺われるが、同課長が取調官として取調に当つたものなどではなく、取調検察官は初めから終りまで右山田検事一人であつたこと、被告人は同検事の取調に対し、右のように十一月八日夜の稗島孝等に対する饗応(判示第二(一)の事実)の趣旨については、初め同被告人宅における牛の仔祝いであるというように主張し、また山田検事が席を外していた間に右高野課長から、「あなたはこれまで牛の仔祝いであつたなどとは一言も言わなかつたのに、どうしていま頃になつてそんなことを言い出したの」と尋ねられると、暫らく黙つていてから、同課長に対し「部落の人の居ないところに行きたい」とか、「自分一人になりたい」とか訴え、いかにも部落の人との関係上本当のことは述べにくいというような態度であつたが、山田検事が話題を世間話に転じ、十分位間を置いてから再度右趣旨について問いただしたところ、被告人も平静な気持に戻つたのか、該饗応が選挙に関係あることを認めるに至つたが、同検事は調書にはしなかつたこと、しかして、被告人は、その余の事実については終始異議なく前記供述調書の内容のような供述をしたものであること、右調書は立会いの右犬童事務官が右山田検事の口授によつて録取し、その完成後被告人に読み聞かせたところ、被告人から訂正や増減変更等の申立ては何らなく、署名指印も被告人において任意になしたものであること、検察官の被告人に対する取調は、同人が警察の取調(前年の十一月末)直後病気入院したことがあつた等の事情の存したことに鑑みとくに慎重を期し、昭和三十九年二月頃にも前記山鹿支部の高野課長を被告人宅に赴かしめて、その病状調査をなし、当時は未だ取調をするに十分な健康状態でないとして、これを延ばす等被告人の心身両面における健康状態を十分に参酌留意した後、前記のように同年五月二七日に至つて、ようやく本庁勤務の右山田検事が取調べたものであり、なお右取調実施の際も同検事は被告人に対し、まづ「身体の方はもう大丈夫ですか」と念を押し、被告人の「大丈夫です」という応答を得てから取調を始めていること、右山田検事の取調の際、被告人は最後に供述調書を読んで聞かせてもらつたうえ、同検事から「そのとおり相違なかつたら名前を書き指印をしなさい」と言われ、署名指印したものであること(このことは被告人が当法廷でも明らかに自認しているところである)、右検察官調書はその体裁内容からみて被告人の言うように警察調書を丸写しにしたものであるなどとは到底みられないこと、被告人に対する司法警察員(中川貞盛)の取調と検察官(山田検事)の取調との間には満六ヶ月の時間的間隔があること、(このことは被告人の司法警察員に対する供述調書抄本四通の日付と検察官に対する供述調書の日付とを対照して確認し得る)同検事の取調は警察の二階において行われてはいるが、右取調室は四、五坪の明るい部屋で、廊下に通ずる扉は半開きになつておつた等、密室的な陰惨さは全くなかつたこと、なお、右取調間に同室に警察職員等が入つて来たようなことも全然なかつたこと等の事実が認められる。

以上の事実に徴すると、被告人の検察官に対する供述は司法警察員の被告人に対する取調の影響から時間的に一応遮断されていると認められ、また検察官の取調時における被告人の環境も開放的で取調時間も二時間前後に過ぎなかつたことが認められるのであるから、該取調が被告人に対し、不任意の供述の誘因となるような強制誘引を与えたものとは到底認め難く、被告人の検事山田有宏に対する供述調書にはその任意性を肯定し得るものと考える。

尤も、熊本精神病院長三浦節夫作成名義の被告人に対する病状報告書によると、被告人は、警察における取調から四日後の昭和三十八年十二月二日より八日間右病院に反応性欝病として入院したことのあつたことが認められ、また山田検事の取調時にも、前記のように「部落の人の居ないところに行きたい」とか、「自分一人になりたい」とか、「山のてつぺんにでも行きたい」とかいうようなことを訴え、多少奇異と思われる言動の存したことが看取されるのであるが、右三浦医師の病状報告書によるも、被告人は入院わずか八日にして軽快退院していることが明らかであるから、被告人の症状は極めて軽度のものであつて、警察における早朝から夜中にわたる連続かつ執拗な取調(当裁判所は右取調により作成された被告人の司法警察員中川貞盛に対する供述調書にはその任意性に疑いが存するものとしてその証拠能力を否定した)のシヨツクによつて誘起された一過性のものであると考えられ、また山田検事の取調時における「部落の人の居ないところに行きたい云々」等の訴えも、被告人の饗応が多数の部落民に累を及ぼし、それらの人が次々と警察に呼ばれて取調を受ける結果となつたりしたことについて、被告人が深く自責し自己処罰的な心理状態になつていたうえ、検事のところでさらに自白するときは、それがまた部落の人達にわかつて関係者から一層うらまれはしないかという苦悩の感情が爆発したために起つた一時的のものとみられ、必らずしも精神病質者等にみられるいわゆる自閉的行動とは考えられないこと(斯のように自己の周囲の人のことを極度に気遣い思い過ごす結果、現実逃避の強い願望に駆られ一見奇異ともみられるような言動に出るということは被告人の居住する地域等のように純朴、かつ閉鎖的な村落社会においては、むしろごく普通にみられる社会心理現象でもあると考えられる)、しかして、右検事の取調は前記のように被告人の軽快退院時から満六ヶ月も経過していること等を考えるときは、被告人の山田検事に対する供述調書が作成された当時被告人の当該供述に任意性を保障し難いような特異の精神状態が存したものとも断じ得ないものといわなければならない。

また、被告人が、大久保候補の後援会結成発表会式に支持応援者として出席したり、自己が区長をしている部落の者に対し、同候補の選挙演説を聴きに行くよう進め、さらに同部落の人達(有権者)を誘つて同候補の山鹿選挙連絡所に陣中見舞に出かけておる等(これらのことは中島優、中尾繁男、古家光等の各検察官に対する供述調書によつて明認できるところである)、被告人が同候補の当選を願い同候補のため運動する動機が十分に存したことや後記受饗応者等の供述等の傍証と照らし合わせると、被告人の検察官に対する供述調書の内容につきその真実性の担保も十分存するものと考えられる。

しかして、古家護、大森善吉の各検察官に対する供述調書、古家英雄の検察官事務取扱検察事務官に対する供述調書、検察事務官認証に係る熊本地方裁判所昭和三九年(わ)第二二六号事件第二回公判調書(供述)謄本を綜合すると、被告人は投票日から十日程前の昭和三十八年十一月十二日夜、受検組合(米穀生産者が食糧事務所の手を省くため共同で自主的に米の検査をする組合)の話で大森善吉等別表三記載の米穀生産者が集まつていた古家護方へ手提げ籠に入れた二級清酒一升を携行して表入口の方から入つて行き、右参集者等に「寄つとるね、普請の酒が残つとつたから持つて来た」等と声をかけながら、土間伝いに同家の釜屋の方に行き同家妻女に対し、右清酒を右参集者等の席に出してくれるよう依頼し(この点につき、右妻女たる証人古家久枝の証言はあいまいであるが、右大森善吉、同古家護の前記各検察官に対する供述調書により確認できる、同女が右清酒等を盆に載せて右参集者等の席に持つて行き、「これは稗島信人さんからです」と披露して出している旨の事実から推認できるところである)、なお右酒だけでは右参集者等が物足りないかも知れないと考え、さらに右古家護方から約二百米位離れた古家シズヱ商店へ行つて菓子を二百円買い求めて追加し、右護の妻(古家ヒサヱ)に該清酒と合わせ依頼して右参集者等の席に対し、自らも同席に加わつて饗応したこと、被告人は右席に加わる前、釜屋から上り口のところに戻り、立つたまま、まづ右大森善吉に対し「今度よかつたら大久保さんば頼む」と同候補に対する投票方の依頼をしておつたこと、右清酒および菓子について、これを訝かつた前記古家護等から「これは何の酒かい」とか「選挙の酒じやろう」等と訊かれるや被告人は最初は「よかじやなかな、俺がいの棟上げの時の残りの酒たい」等と言つてお茶をにごしていたが、右護等から重ねて「よかじやなかたい、何んかな」等と追求されると「こら大久保さんの方から来たつだけん飲んでくれ、一つ頼むばい、今度の選挙には投票に行つてくれにやんたい」等と申し述べ、右饗応の真意を打ち明け、右大久保候補に対する投票を依頼したこと等の事実が認められ、また当法廷における被告人や古家護の各供述により、被告人方で納屋の棟上祝いをしたことの存することは否定し得ないが、同人等の右供述によるも右日時は昭和三十八年十月十二、三日頃のことであるから、該祝酒が残つたのも、その当時のことに属し、それを満一ヶ月以上も経つてから急に右古家護方に持参するということは不自然であり、また偶々右祝酒が残つていたので、これを右古家護に贈与する心算であつたものであるとすれば、さらに右酒のほか、わざわざ菓子をも買い求めて追加するということは一層不可解のことと考えられ、被告人の、残り酒を古家護だけに贈与したものであるとする弁解は俄かに措信し難いこと等の事実が認められるので、被告人の前記自白と右受饗応者等の供述とを綜合して、同被告人に係る判示第二(二)の事実は優にこれを認め得るものと考えられる。

尤も、当法廷における証人として、右古家護は検察官に対する供述を全面的に否認し、被告人がその時持つて来た酒は同人方納屋の棟上祝いで残つた酒で、自分一人にもらつたものであり、被告人は前記参集者等の席には加わらず、顔さえ見ていない、勿論被告人に対し、その酒や菓子のことについてその趣旨を尋ねたり同人と問答したりしたようなことは全くなく、検察官に対しては最初右のように本当のことを述べる心算で述べ出したところ、同官が「田舎でも何かあつたときでないとそんな物は持つて来ん」と大きな声で言われたので、これでは事実どおり述べても仕方がないと考え、警察で述べたように述べてしまつたものである、また警察では自分が本当のことを述べれば、被告人が再度取調べられ死ぬような結果にでもなりはしないだろうかと案ぜられたので、取調の警察官が言うとおりの事実を承認してしまつたものである旨証言しているのであるが、反面右検察官に対する供述調書については、その作成後読んでもらい間違いがなかつたので署名押印したものであるようにも述べており、同人を取調べた検察官である証人林義徳の証言によると、同証人は右古家護に対しその供述しているような取調をしたことは絶対になく、むしろ同人を調べた際同人が「自分の警察で述べたことのうち、少し違つている点がある」と申し立てたので聴いたところ、「自分は警察では、被告人が自分方に酒を持つて来たときこれは古江英二からもらつたので持つて来たと言つていたというように述べたかと思うが、実際はそのとき被告人がそのように言うて持つて来たかどうかはつきりしなかつたのに、はつきりしているようにして述べてしまつたものである」と警察での供述を一部訂正してもらいたい趣旨の申立てをしたので、検察官調書では右古家護の述べたとおりのことを附加した旨証言し、右古家の証人に対する供述調書(検察官調書)を検討すると、確かに右証言に見合う右古家の供述記載が存するので、同調書が供述者の供述を忠実に録取していることが窺われると共に、右林検察官が右古家護の当法廷で述べているように、同人が真実を述べようとするのを抑えつけて述べさせようとせず、同人の警察における供述をそのまま押しつけようとしたようなことはかえつてなかつたものである情況が看取されること、なお、右古家護は同人の妻である前記証人古家久枝の証言によると、終戦時まで朝鮮総督府巡査部長として警察官を勤めた経歴の持主であることが認められるので、仮りに警察や検察庁で多少強く追及されたところで右のような経歴のある同人が全然存しない事実を存したように供述するとは考えられず、かつ検察官調書中における当該酒、菓子の趣旨について右古家が被告人との間に問答を繰り返した点の供述は極めて具体的自然的で到底検察官が作文したものであるなどとは考えられない状況が認められること等に徴し右古家護の右検察官に対する供述調書中の供述は同人の当法廷における供述よりもより信用すべき特別の情況が存するものと認められ、また同人に対する検察官の取調に強制誘引が行われたと窺われる徴憑も何ら存しないので、右供述調書は特信性ならびに任意性をともに具えるものと認むべきである。

また、前記古家英雄は同人の検察官に対する、「被告人は受検組合参集者等の席で、今度の選挙には大久保さんをお願いしますけん、選挙にはもれなく行つてはいよと話し、同候補に対する投票方の依頼をしていた」旨の供述を翻えし、そのような話は聞かなかつた旨証言しているが、右供述の変更につき何等首肯し得る具体的な理由を挙げないのみならず、検察庁では供述調書を読んでもらい間違いがなかつたので署名押印したものである旨述べ、また熊本地方裁判所における被告人古江英二に対する公職選挙法違反被告事件の証人としても、「被告人からそのとき今度の選挙には大久保さんに一つ頼むといわれた」旨はつきり証言していること等が認められるので、右古家英雄の検察官事務取扱に対する供述調書にも、任意性および特信性に欠けるところがないものと認むべきである。

なお、前記大森善吉も当法廷では、被告人は釜屋の方へ行つてから直ぐ帰つたし、同人から「今度よかつたら大久保さんば頼む」といわれたようなこともなかつた旨述べ、検察官に対する供述を全面的に翻えし、なお検察官の取調の際は「嘘を言うと偽証罪になるぞ」といわれたので、警察で述べたことと違つたことを言うと偽証罪にされると考え、警察で述べたとおりのことを供述してしまつたものであり、また警察の調はとても厳しかつたので事実と違つたことを述べた旨証言しているのであるが、反面検察庁では供述調書を読んでもらい間違いなかつたので署名押印したものである旨も述べており、同人を調べた検察官である前記証人林義徳も、右大森善吉に対し、その供述しているような取調をしたことは絶対になく、また同人から警察における取調状況についても何ら訴えられることがなかつた旨証言しておるほか、同人の当法廷における供述によれば、被告人は釜屋の方に行つてから直ぐ帰つてしまつた旨であるが、被告人稗島信人の供述によると、かえつて同被告人は釜屋に行つて酒を置いてから、菓子を買いに出て再び古家護方に戻つて来ていることが明らかなのであるから、右大森の当法廷における供述は客観的事実とも符合しないことが明白である。

したがつて、同人の検察官に対する供述調書も同人の法廷における供述よりもより信用度があるものと認められ、その任意性ならびに特信性に欠けるところがないものと考えられる。

つぎに、同被告人の判示第二(一)の饗応の事実については、被告人の検察官に対する前記供述調書中には触れられていないが、受饗応者である中島優、古家光、中尾繁男、稗島孝等の検察官に対する各供述調書を綜合して優にこれを認め得られるものであることは前述したとおりである。

尤も右中島優等は当法廷においては、右検察官調書中の供述を翻えし、被告人から饗応されたのは、被告人方に牛の仔が産まれたお祝いのためである(中島優、中尾繁男の各供述)とか、被告人方で牛を交換したお祝いのためであつて(稗島孝、古家光各供述)、選挙に関係したものではなく、勿論その席で被告人が大久保候補のため投票を頼む旨の依頼なり挨拶なりをしたような事実も全くなかつた旨、被告人の前記弁疏に概ね照応する供述をし、かつ検察庁で事実と異る供述をしたのは、その前の警察の取調がひどく午後六時半頃迄も調べられ、もし述べなかつたら夜になつても帰えしてもらえないかも知れないと思つたので、警察の取調官が言われるとおりだと述べてしまつたので、検察庁でも結局右警察で述べたと同じことを繰り返したものである(中島優供述)とか、警察の調の際選挙のための酒肴だと述べないと、いつまでも帰えしてもらえそうになく、帰りのバスにも乗り遅れるかも知れないと心配したので選挙目的で飲ませてもらつたように述べてしまつたので、検察庁でも同じように述べたものである(古家光供述)とか、もしくは警察の調の際は、取調官が「述べないと泊つとれ、毛布一枚しか着せないぞ」というようなことをいわれたので、事実と違うことを認めてしまつておつたので、その後検察庁でも、同所が警察と同じような役所だろうと考え、警察で認めたと同じことを述べてしまつたものである(中尾繁男供述)等と供述しておるのであるが、前記に明らかなように、同人等の該饗応の趣旨に関する法廷の供述は、中島と中尾は被告人方に牛の仔が産まれたお祝いであると言い、稗島と古家は被告人方で牛を交換したお祝いであるとして、くい違つておるのみならず、共に牛の仔祝いであるという右中島、中尾間においても、中島はその牛の仔は右饗応の十日程前に産まれたものであると述べ、中尾はその牛の仔は前年に産まれたものであるが、前年にそのお祝いをしなかつたので、この時お祝いをしたものであると述べて相距ること遠く、また共に牛を交換したお祝いであるという右稗島、古家間においても、稗島は右交換は本当は売買で、被告人が所有していた親牛および仔牛を他へ売つて代りに他の親牛を買つたものであると述べ、古家は交換というのは被告人がそれまで飼つていた牛を老廃牛として農協に出し別の若い牛を交換でとつたものである旨述べ、これまた相違する等、法廷における右四人の供述は区々であり、中島優のごときは最初牛の交換等ではお祝いをするようなことは絶対にないと断言しながら、後で弁護人から「他の証人が牛の交換祝いだと述べているがどうか、また交換でもお祝いすることはあるのではないか」と訊かれると、忽ち前言を翻えして「饗応を受けた四、五日後に牛を交換したとかいうような話も聞いた」とか、「交換祝いをするところもある」などと、まことに曖昧な供述をし、その証言に確実性が認められず、また稗島孝も「その晩は牛の交換と稲の作柄の話しか出なかつた」とか「牛の話ばかりであつた」等と証言しているにも拘らず、その牛の交換は誰との交換であり、またどういう牛と交換したのであるかというようなこと(牛交換祝いであつたとすれば当然右のようなことは話題に上るべきことがらである)は話に出たかどうか全く記憶していない旨述べておつて、同人等が法廷で主張し供述するようにその晩の饗応が牛の仔祝いもしくは牛交換祝いというような趣旨も兼ねてなされたものであつた(その晩の受饗応者等が牛祝いの際に普通客側の者が持参する慣行となつているという若干の米等を携えて行つていることからみて、そのような趣旨も兼ねてなされたものと推測される)としても、それが主目的ではなく、真の目的は他にあつたと考えられること、中島優と中尾繁男はその晩の受饗応者の一人である中村春勇等を含む区民数名と共に、投票日六日前の昭和三十八年十一月十五日頃、被告人の案内で山鹿市花見坂にあつた大久保候補の山鹿選挙連絡所を訪れて陣中見舞をなし、茶菓の馳走を受けたり、映画を無料で観覧させてもらつたりしており、また古家光は被告人から「大久保候補の演説を聴きに行つてくれ」と頼まれ、津留公民館における同候補の選挙演説を聴きに行つておつて、同人等は同候補の選挙情勢に決して無関心ではなかつたこと、牛の仔の出生もしくは牛交換のお祝いだけであるとすれば、なにも案内して廻つた即日実施する必要はなく、むしろ若干の間を置いて被招待者等の便宜をはかるべき筈であること、被告人は右案内をして廻つた際「酒が一本来とるもんな」などということも言い(このことは古家光の検察官に対する供述調書によつて認められる)、大久保候補もしくは古江市議の方から饗応の酒が来ている旨を窺わせるような意味深長な言葉を洩らしておること(その頃被告人が古江市議の方からの清酒一本をもらつたことは、その趣旨は別として、被告人も当法廷で自認しているところである)、同人等中、中尾繁男と古家光は検察官調書は読んでもらい、間違いないということで署名押印したものであることを自認していること、中島優は検察庁で述べた内容はよく憶えていないとか、供述調書は読んでもらつたが間違いないということで署名したかどうかは覚えない等と極めてあいまいな供述をしているが、これと同人の検察官に対する供述調書中の供述記載(……飲み始めてから被告人が「実はこの酒は市会議員の古江英二さんが持つて来なはつたもんな、今度の選挙には大久保さんを頼むばい」と言つたので、その酒肴は被告人が大久保さんに投票してもらう依頼の趣旨で牛祝いの名目で出したということを知つた旨の具体的な供述)とを対照すると、同人の法廷における供述は意識的に記憶をぼかしているものではないかとさえ窺われ信用し難い情況が看取され、反面検察官供述調書中の右供述記載はその具体性の点からみても検察官の作文とは到底考えられないこと、その他同人等は検察官から不任意の供述の誘因となるような強制誘引を受けたようなことは何ら申立てておらず、またたとえ同人等に対する警察の捜査取調に相当の行き過ぎがあつた(この点については既に触れたとおりである)としても、検察庁における取調は右警察の取調時から約二週間以上の時間的間隔が存し(このことは右中島等の司法警察員に対する供述調書抄本各通の日付と検察官に対する供述調書の日付とを対照して確認し得る)、かつその取調状況も前記のとおりであつたことが認められるので、警察捜査の影響は一応遮断され、検察官調書に不当な影響を及ぼしているものとは考えられないこと等の事実が認められる。

右事実を綜合すると、右中島優、同古家光、同中尾繁男、同稗島孝等の検察官に対する各供述調書は特信性、任意性を具備し、また証拠価値においても欠くるところがないものと考えられる。

そうすると結局、判示第二(一)(二)の事実についても、前記被告人、弁護人の主張はこれを採用し得ないものというほかない。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人前田に係る判示第一、被告人稗島に係る判示第二(一)(二)の各饗応の所為は、いずれも公職選挙法第二百二十一条第一項第一号(なお、右各饗応行為はいずれも受饗応者五名を同時同所において同一目的で饗応したものであり、単一の犯意の発現に基づくものであるから、一所為数法の関係にあるものではなく、包括一罪であると解する)罰金等臨時措置法第二条第一項に該当するところ、その所定刑中罰金刑を選択し、なお被告人稗島の判示第二(一)および(二)の所為は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十八条第二項により各罪につき定める罰金の合算額範囲内において処断することとし、各被告人を各罰金三千円に処し、右罰金を完納することができないときは同法第十八条第一項に則り金五百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置することとする。

なお、被告人等に対する公職選挙法第二百五十二条第四項所定の選挙権、被選挙権の停止期間を如何に定むべきかについては、斯種違反行為が選挙の公正を阻害し延いては民主制度の基盤をも破壊する結果となる害悪を内在していることに眼をつぶつてはならないと同時に、反面違反者等の基本権である参政権を永く剥奪する結果となることも、また可及的に避けなければならないという根本的立場に立つて、具体的に違反者の地位、身分、同種事犯の前歴の有無、違反行為の罪質、態様、程度とくにその選挙結果への影響度等を勘案して慎重に決定すべきであると考える。

いま、右見地に立つて本件を検討するに、被告人両名共、本件犯行当時区長の現職にあつて、部落内の指導的地位にあり、公明なるべき選挙に際してはとくに自重と公正な挙措を要請される地位、身分にあつたこと、その違反行為は饗応による選挙人の買収であつて、選挙結果に対する影響が直接的であること等の事実が認められるので、被告人等に対して三年間はその選挙権、被選挙権を停止することが相当であるものと思料されるから、当裁判所は公職選挙法第二百五十二条第一項第四項を適用し、被告人等に対し、その選挙権、被選挙権を有しない期間を短縮して三年間と定めることにする。

なお、訴訟費用については、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により主文第四項のとおり定める。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 石川晴雄)

別表一、二、三(略)

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